せいいっぱいの優しさ

せいいっぱいの優しさ

せいいっぱいの優しさ

歌詞はうろ覚えで違っているかもしれないが、まあそういうことである。人はみな一人であり、支え合っているようで実は孤独なのだよ、という風にも受け取れる歌なのだが、実はオフコースなので多分難しいとか深い意味はないに違いない。昔は歌いながら泣きそうになったものだ。あまりにも軟弱で。

 

人生とは厳しいもの、ということはなかなか判らないものである。普通、まず親が守ってくれているし、次には所属する組織が楯になってくれるし、最後は社会が保護してくれているのだ。特に親以外の保護は、なかなか判らない。あまりにも当たり前だと、その重要性・不可欠性が見えないのだ。空気みたいなものである。食い物や飲み物がなくてもすぐには死なないが、空気がなくなったら一瞬だぞ。

 

組織の優しさについては、気づかないのも当然かもしれない。ネガティヴ方向の優しさなのである。つまり、本人がポジティヴな方向に向いているうちはそんな優しさを必要としていないし、また組織の方もことさらに優しくしたりしない。日本の場合、元気な奴にはあえて冷たくしたり虐めをやったりするので、尚更気がつかないのだ。

例えば会社の場合、自分から辞めると言わない限り、サボろうが休もうが色々とサービスしてくれる。これは資本主義の長所のひとつで、もちろん最初は資本家が労働者を虐め抜いて死なせたりしていたのだが、それをやりすぎて問題になり、法律で「やってはイカン」ということが色々決まって、だから我々は当然のように甘い果実を味わっているのである。だが、考えてみたら働けない奴やサボる奴を会社が保護するっていうのもへんな話である。

 

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せいいっぱいの優しさ

 

資本家や経営者が、働かない労働者を保護したいと思うはずがない。

 

オー・ヘンリーなどの話を読むと、昔のアメリカでは露骨に「お前、気にくわないから首」というシーンが頻繁に出てきて、しかもそれを罰する法律なんかなかったようである。ああいう時代があったのだし、だからこそ法律が整備され、労働者を首にするのが難しくなっているのだ。我々はいきなり何時間以上は働かせてはイカンとか、そういう状況に遭遇するので気づかないけど、今の優しさは先人たちの血と涙で勝ち取ったものなのである。

 

もちろん、ただ優しいだけでは経営が成り立たず、その会社は潰れてしまうので労働者を働かせる仕組みも整えてきている。真面目に元気でやっているかぎり、会社や社会はあんまり優しくない。元気な者にまで愛想を振りまく理由がないからなのだが、だから大抵のサラリーマンは会社の冷たさを恨むのだ。元気だと、セーフティネットにひっかからないどころか、その存在にも気づかないものである。

 


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